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2014年12月01日

うーむ

「第1回沖縄ギターフェス2014」を終えてから1ヵ月も更新してなかった。
バーンアウトにしても長すぎるかしらん笑

いや、まあいろいろと考えさせるコンサートでござった。
PRのやり方、選曲、舞台転換、MC、収支決算、などなど。
疲れたし。

で久しぶりに高橋源一郎さんを読んでいる。
「ニッポンの小説」(2012、ちくま文庫)の131ページから
長ーいけど引用。

「これまでの現代詩は<時代という愛情>に包まれていた。戦争があり、闘争があった。政治の季節には政治があった。意見の合わない旧世代があった。まわりにはいつも壁があった。ことばを出していれば、それが詩でないものでも、あまりしっかりとは書かないものでも、時代のあとおしで詩になった。詩を支えるものが自動的にはたらいたのである。詩をとりまく愛情は分厚いものだった。そのために詩とは何であるか。それを考えなくてもすんだのである。いまは時代も、たたかう相手も鮮明ではない。読者もいない。何もなくなったのだ。こんなとき、詩は何をするものなのだろうか。そもそも詩は、何をするものなのだろうか。詩の根本が問われているのだ。だとしたら、ここからほんとうの詩の歴史が始まるのかもしれない。」


「詩」という単語を「ギター」とか「音楽」に置き換えて読んでみる。


話かわって。
土曜日にこの時期恒例のギターワークショップを開いた~。
個人レッスンの人を対象にしたもので、
今年はギターの歴史をバッハからヨークまで写真付き演奏付きで解説した~。
子どもたちがバッハの顔写真分からないのでておったまげた。
モーツァルトとかベートーベンとか言いやがる笑
みんなーこの人だよバッハ笑
うーむ


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キャンセル(2015-07-07 19:43)

載ってた~
載ってた~(2015-01-16 12:05)

間違えた~。
間違えた~。(2015-01-05 15:01)


Posted by さのしゅうさく at 15:03│Comments(1)yak
この記事へのコメント
高橋源一郎さんへ
ー「時代という愛情」詩にとって、戦争、闘争、政治、旧世代などは愛情
ー 時代のあとおしで詩でないものでも詩は成り立った。
ー 詩とは何であるのか、考えなくてもすんだのである。

なんと貧困な発想か、戦争は悪そのものであり、何を喩えても愛情にはなりえない。
それぞれの時代の生き様があり、どんな時代でも成り立つもの。
詩とは何であるのか、それを考えない人など今も昔もいません。常に自問自答しながら生きてます。

ー いまは時代も、たたかう相手も鮮明ではない。
ー 読者もいない。何もなくなったのだ。
ー いまは時代も、たたかう相手も鮮明ではない。読者もいない。何もなくなったのだ。
ー そもそも詩は、何をするものなのだろうか。詩の根本が問われているのだ

世界中で戦争、テロ、犯罪、失業、格差、少子、こんなひどい状況さえみえていない。
協調できる意見を出せないから読者はいない。
根本はちゃんとわかっていますよ、あなたがわからないだけです、もう詩はやめなさい。
Posted by tom at 2014年12月10日 03:24
 
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