2013年03月06日
土曜日は、
聴きに来ていただいて
ありがとうございました。
教会だけにとても響きが良い場所なので
フルートの倉地さんともどもノビノビ演奏できました。
開放的な空間だとライブ形式の演奏とは
違った感じで音楽作りに専念するから
これまた楽しかった。
写真ろくなの撮ってない笑。
おそらく撤収時のもと思われます。

さてさて今月はまだまだクラシックギターあります。
アンダルシアでだったり、八重瀬町でだったりするので、
場所や時間など確認してからどうぞ。
3月15日(金)
アンダルシア・クラシックギターライブ
ギター:与那嶺新(よなみねしん)
19時スタート
プログラム:「椿姫の主題による変奏」「アランブラの思い出」ほか
チャージ¥1,000
3月24日(日)
こーき&ひろしギターデュオ
ギター:藤元高輝、小暮浩史
八重瀬町、STUDIO T. tutti
15時スタート
チケット¥2,000(大人)¥1,000(小中高校生)
問合せ:090-9406-0592(又吉)
3月30日(土)
アンダルシア・クラシックギターライブ
ギター:ノエル・ビリングスリー
20時スタート
チャージ¥1,500
なんだか毎週末あるんでイイ感じです。
全然違いますが
ひさしぶりに本のことを話します。
昨年11月からずっと夏目漱石を読んでいて読んだ順番に
「道草」(1915)
「こころ」(1914)
「三四郎」(1908)
「それから」(1909)
「門」(1910)
「行人」(1912)
んで今「明暗」(1917絶筆)
でなんだかノリで今年は明治人のものしか読まないことに決めて
鴎外啄木透谷藤村独歩紅葉二葉亭子規逍遥花袋一葉荷風
って思いつくだけでもエンドレスだなあスゴイなあと感心しているけれど
実際どれだけ読めるかな。
漱石の小説に出てくる
それぞれの人物の恋愛の流儀というか
恋愛に対する思考回路というのは
とっても古風だが単純で
「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」「夫婦とはこうあるべき」
っていうのがハッキリしているし
そのに点だけ関して言えば
作中人物には幾ばくたりとも迷いはなくって
その迷いのなさはうちの大正最後らへん生まれの祖父祖母を思い出させるわけで
「~であるべき」が美徳だった時代というのは
いろんなものがハッキリしていたはずだけど
漱石小説の中では必ず近代化や個人主義や宗教が介入してきて
「~であるべき」症候群とそれらが煩悶となり
作中人物の1つのドラマとなって
ニートになったり(三四郎、それから)
宗教やったり(門)
発狂したり(行人)
しちゃうから楽しい。
まそれはいいとしてまだ読んでる途中だけど
「明暗」(1917絶筆)っていう小説はドストエフスキーとか「100年の孤独」レベルの
1シーンに100ページ近く費やすような
膨大で緻密で繊細な世界像が開かれていて
作中人物の心理の機微が臨場感たっぷりだから
すごい。

ありがとうございました。
教会だけにとても響きが良い場所なので
フルートの倉地さんともどもノビノビ演奏できました。
開放的な空間だとライブ形式の演奏とは
違った感じで音楽作りに専念するから
これまた楽しかった。
写真ろくなの撮ってない笑。
おそらく撤収時のもと思われます。
さてさて今月はまだまだクラシックギターあります。
アンダルシアでだったり、八重瀬町でだったりするので、
場所や時間など確認してからどうぞ。
3月15日(金)
アンダルシア・クラシックギターライブ
ギター:与那嶺新(よなみねしん)
19時スタート
プログラム:「椿姫の主題による変奏」「アランブラの思い出」ほか
チャージ¥1,000
3月24日(日)
こーき&ひろしギターデュオ
ギター:藤元高輝、小暮浩史
八重瀬町、STUDIO T. tutti
15時スタート
チケット¥2,000(大人)¥1,000(小中高校生)
問合せ:090-9406-0592(又吉)
3月30日(土)
アンダルシア・クラシックギターライブ
ギター:ノエル・ビリングスリー
20時スタート
チャージ¥1,500
なんだか毎週末あるんでイイ感じです。
全然違いますが
ひさしぶりに本のことを話します。
昨年11月からずっと夏目漱石を読んでいて読んだ順番に
「道草」(1915)
「こころ」(1914)
「三四郎」(1908)
「それから」(1909)
「門」(1910)
「行人」(1912)
んで今「明暗」(1917絶筆)
でなんだかノリで今年は明治人のものしか読まないことに決めて
鴎外啄木透谷藤村独歩紅葉二葉亭子規逍遥花袋一葉荷風
って思いつくだけでもエンドレスだなあスゴイなあと感心しているけれど
実際どれだけ読めるかな。
漱石の小説に出てくる
それぞれの人物の恋愛の流儀というか
恋愛に対する思考回路というのは
とっても古風だが単純で
「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」「夫婦とはこうあるべき」
っていうのがハッキリしているし
そのに点だけ関して言えば
作中人物には幾ばくたりとも迷いはなくって
その迷いのなさはうちの大正最後らへん生まれの祖父祖母を思い出させるわけで
「~であるべき」が美徳だった時代というのは
いろんなものがハッキリしていたはずだけど
漱石小説の中では必ず近代化や個人主義や宗教が介入してきて
「~であるべき」症候群とそれらが煩悶となり
作中人物の1つのドラマとなって
ニートになったり(三四郎、それから)
宗教やったり(門)
発狂したり(行人)
しちゃうから楽しい。
まそれはいいとしてまだ読んでる途中だけど
「明暗」(1917絶筆)っていう小説はドストエフスキーとか「100年の孤独」レベルの
1シーンに100ページ近く費やすような
膨大で緻密で繊細な世界像が開かれていて
作中人物の心理の機微が臨場感たっぷりだから
すごい。
